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文久2年閏8月16日(1862.10.9)
【江】慶喜、春嶽に幕政改革の意見書を送り、辞意を告げる

■幕政改革へ
【江】文久2年閏8月16日、将軍後見職一橋慶喜は政事総裁職松平春嶽に幕政改革に関する意見書を送り、後見職の辞意を示唆しました。

さきに改革断行を求めて登城停止をしていた(こちら)総裁職の松平春嶽は、幕閣(老中板倉勝静)が改革に本腰をいれる決意を示したので、閏8月4日に登城を再開したばかりでした(こちら)。参勤交代廃止が決定するなど、改革は進みつつありましたが、16日、今度は、諸大名の進献物廃止をめぐって、後見職の一橋慶喜が老中・若年寄と対立し、登城(出勤)を中止していました(こちら)

慶喜の書簡の大意 (by管理人)は以下の通り
時勢の変化を察し、天下積年の弊害を除き、世界一の強国にしようという議論に深く感じ入り、これまで粉骨砕身してきた。しかし、とかく人情浮薄で実施の着眼なく、変革は唯京都・諸藩と折合をつける為だと心得る者が多く、幕政は琴柱に膠する(=融通がきかないこと)のみで(改革を)拡大しようとはしない。

外国の事情を鑑みても、体制が崩壊すれば、徳川家のことはさておいても、皇統の存続さえ危ぶまれる事態にいたるかもしれない。そうなればどんなに悔やんでも及ぶところではない。然るに、人々の所存がこのようであっては改革の断行などとうてい不可能である。

であれば、寧ろ改革を止め、(改革を望む)諸藩が不平から蜂起する時を期して(体制の)興亡を一戦に決する方がよいであろう。無学で才能のない自分が大任を汚すことは朝廷・幕府に恐れ多いので、追って相願う儀(=辞職)もあるだろうが、まず愚見の大意を申し入れる

驚いた春嶽は老中の説得にとりかかることになります。

<ヒロ>
慶喜は、老中らの改革のかけ声は立派だけれど、その実は朝廷や諸藩を満足させるための表面的な改革に過ぎないと看破し、言われたから、言われたことだけをやるという受身ではなく、自らのイニシアティブで構造改革を進めない限りいずれ体制は崩壊する(不平をもつ諸藩が蜂起する)だろう・・・と警告。なかなか鋭い批判&予見ですよね。

そうなれば、外国の介入などもあるだろうから、「徳川家の御事はさておき皇統さへ恐れ多き事にいたらんか」というあたりは、徳川家より朝廷を第一とする水戸の公子だった慶喜の面目躍如という気がします。

そして、最後には、本気で改革をするつもりがないなら、いっそ改革などやめてしまい、改革を望む諸藩と戦って白黒つける方がよい・・と、なんとまぁ、過激な発言を。もちろん、それくらいの危機感をもち、幕府が自らイニシアティブをとって改革を進めなくてはいけないという主張なのですが(改革を拒む抵抗勢力に向って、解散総選挙をちらつかせる戦術と似てるような^^;?)、「諸藩不平蜂起の時を期して興亡を一戦に決する」という発想が文久2年で既にあったというのがちょっと驚きです。

参考:『続再夢紀事』、『徳川慶喜公伝』(2003.10.9)
関連:■テーマ別文久2「幕政改革問題」「開国開城」文久2年5月〜:勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革

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